夏の虚空とリスタート
序章投稿……2020.6.12.
#1投稿……2020.6.12.
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序章 独白さえも掻き消した
その日、とても綺麗な空に美しい入道雲があったとしても、僕らはそんなことまで覚えていられない。
そんな風に出来てる。
「君と見たすべての景色、全部忘れないよ」なんて言ったって、思い出すきっかけさえ忘れて全部水の泡になるんだ。
そんな風に出来てる。
そんなのだから、僕らは自己満足でも記憶に焼き付けようとしているんだろう。
来ることのない「記憶の芽吹き」を信じて。
…なんて、君も僕も今日の事だって、世界にとっては小さなささくれでしかない。
そうやって僕は今日も、忘れてしまった「大切なもの」をどこかに隠して生きている。
あの日から耳にこびりついた騒音が、今も自分の中で鳴り響く。
形骸化して今にも崩れそうなボロボロのビル街。
色素が抜けた、白い髪が煩わしい。
どうせ僕はバケモノだ。
もう戻れない世界の分岐点で独り、僕は小さく嗤った。
戻れない「はず」だった過去は、底なし沼の中で今日も必死にもがいている。
「バケモノ」の人生の最終章が、今、自ら幕を開けようとしていた。
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#1 真夏の日差し
目覚めが悪くなったのはいつからだっただろう。
夢を見るようになったのはいつからだっただろう。
答えなど出てくることのない質問から離れ、今日も僕は重い頭をゆっくり持ち上げた。
珍しく晴れた空を飾っている窓を見ても、何故だかスッキリはしない。
眩しい朝日に照らし出された新宿のビル街は、僕の目を眩ませた。
これでもう何回目かの夏休みが、始まる。
整然とした自分の部屋を出て、虚ろな足取りでダイニングに向かう。
──嗚呼、今日もか。
ラップがかけられた皿が数枚並べられていて、その上に小さいメモが置いてあった。
母さんの文字だ。
白くて小さな飾り気のないメモいっぱいに、僕宛のメッセージが綴られていた。
いつもに増して走り書きだ。家を出る間際に書いたのだろう。
そういえば、随分と母さんの顔を見てないな。
ずっと働き詰めらしい。シングルマザーは大変だ。
冷え切った白飯を租借しながら、もううっすらとしか覚えていない母親の顔を思い浮かべた。
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洗濯、掃除、宿題。
やっと終わったと思えば、今度は買い出しに行かなければならない。
確か今日は最寄りのスーパーが安売りを行ってるはずだ。
これは逃せない。
ボール状のチョコレートを一粒頬張って、僕はエコバック片手に家を出た。
唐突にLINEの通知音がした。
ブルーライトに照らされて、僕の顔も青く染まる。
『今日も家事ばかりなの?』
『大丈夫?』
『葵、手伝おうか?』
心配してくれるメッセージを見て、少し口角が上がるのが自分でも分かった。
『もう慣れたし大丈夫だよ』
返信して、僕はズボンのポケットにスマホを突っ込む。
真夏の日差しが、少し優しくなった気がした。
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