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サイトー さん

  
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『夜は歌う』の作者でもあるキム・ヨンスさんはどんな自伝小説を書くのだろう、と思いながら読みはじめました。


鉛筆で書き出してみたと語る冒頭で、作者のキム・ヨンスさんはこの「ニューヨーク製菓店」以外にも鉛筆で小説を書いてみたりしたのでしょうか。手探りで慎重に思い出すかのように生まれ育った街や店、そして家族との会話を反芻していく語りは静かに過去へ沈んでいくなかでも前向きな明るさが仄見えているように思えました。印象深い思い出というものは、鮮明に覚えているようで、何かを忘れてしまっているものですが、この「ニューヨーク製菓店」は過去への郷愁に沈んでいく気持ちと、人生を歩んでゆくささやかな肯定のしかたと手を結びなおそうとする記憶が描かれており、その場所の向き合い方を示していたように思います。思い出の中でその時にあった物や言葉、時間の流れ方といった生活の細部をすべて覚えている訳ではないし、また、時が経ったことで見えてくる当時の家や社会の構造もあるのだと改めて気づかされました。兄弟の中にある差異や小さな家の記憶を突き抜けて現れる歴史の出来事も指しはさまれており、ふとした固有名詞や言葉からもそれは伺えました。それは例えば、ただの製菓店でなく、なぜ「ニューヨーク製菓店」と呼ばれているのかといったことや、植民地時代の日本語の言葉(キレッパシ)、といった事柄から日本と韓国との近いようで遠い距離感と身近さを認識したような気がします。


思い出となるようなものがいつまでも変わらないような気がする、そんな生活の中にある永遠が人によって異なること、それはもちろん誰にとっても永遠にはならないことをこの作品は伝えてくれます。この世にはもう存在しない場所、ある人にとっては忘れられないもの、そういう過去を抱えて生きてゆく人々が小さな故郷喪失者となることそのものは空しいものなのだろうか、と問いかけてもいます。キム・ヨンスさんは人々との共通認識や文脈を外れてしまう人の姿にある語りの力を丹念に探りあてようとしているかのようです。それは歴史の必然や無常に過ぎていく人生の儚さがただ悲観的なものであるかどうか、踏みとどまって描き直そうとしているようにも思えました。それは作中で頻繁に用いられていた「人生とはそういうものではないか」という言葉に表れています。


「ものでないか」と「ものではないか」の微妙な違いについて、人生経験の浅い私などはよくわからないところがあります。日本語と韓国語のニュアンスの差異なのか、これまでの人生経験から浮かぶ人生観を投げかける言葉なのか、あるいは、人生に対する諦めの呟きなのか。作者の父親が「そういうものではないか」と書き換えて他者へ投げかけてみた、微妙な人と人との回路の宛先はそれでも失われた幸福の姿が悲しいものだったとは決めかねている。印象的な街中の灯り、きらきらとビニールの上で輝く白熱灯、年末の帰省客の赤ら顔、露天商のカーバイト、店先に積み上げられたオレンジ色の灯り、といった様々な具体性をもった明るさは、彼が体験した80年代から段々と物質的に豊かになっていく中で移り変わる幸福の姿を焼き付けたのだと思います。それは、他人事とは思えず、90年代から現在までの日本を過ごしている私自身にも突きつけられる記憶への郷愁がありました。どんなに未来が進んでも失われて戻って来ないものがある、そんな思い出の中に保存されたもう存在すない物の数々を思い出させます。消費と合理化、そして利益の最大化を信じて突き進むこの社会で、手放しがたい記憶というものは人々の間に少しの差異や会話の齟齬を刻みつけ、その小さな個人の歴史の打刻の数々が、記憶につきまとう悲観的な人生の波からゆるやかに離れていくこともある。「ニューヨーク製菓店」はそんな別の時間の過ごし方を届けてくれるような、ささやかで喪失感のある記憶との別れを、手放すことではなく過去と今を照らし合わせ形を保つ別離のあり方を描いていました。

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