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中村 友希子 さん

  
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この作品を読み進めながら不思議だったことは、頭の左半分では作者の微細な記憶の風景描写を追う一方で、頭の右半分では私自身の記憶の風景を辿っていたことである。頭の一方でニューヨーク製菓店の店の奥や店内を思い浮かべながら、もう一方では私の実家・教会・母の車・病院を思い浮かべていた。

だから、作品の言う”灯り”というものは、私の記憶の中で言うこういうものなのだろうと対比しながら読んでいたのである。

印象的だった箇所といえば、34頁4行目から35頁の9行目である。おそらくこの箇所は、この作品を読んだどの読者にとっても印象的に違いない。少なくとも私は、頭に言葉が焼き付いた。

この箇所は、”灯りとしてのニューヨーク製菓店”を作者が内省するなかで得られた気づきのようなものだろう。

では私が読み進めながら思い浮かべていた”灯り”と言えるだろう風景たちはどうだろうか。私にとっては、まだそれらの”灯り”が、その過去の瞬間でしか点っていない。作者の”灯り”は、”作者を今に生かす灯り”となっている。一方、私の”灯り”は、”私が生きていた灯り”でしかない。まだ私は苦しいばかりだ。作者のように子どもを持てば、やがて分かるのだろうか。”私が生きていた灯り”を、いつか”私を生かす灯り”にしたい。

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