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坂本 隆司 さん

  
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静かな小説だった。

大きな出来事や、出逢いや、別れや、笑いや、涙や、そういったものは登場しない。ただ淡々と作者が成人するまでの思い出が、実家の生業であったパン屋を軸に語られていく。

私はこのキム・ヨンスという作家を知ったのは初めてだった。韓国へ語学留学の経験はあるが韓国文学には全く疎い。そもそも読書家でもない私だったが、友人が応募するというのでゲラ刷りが読める好奇心から乗っかってみた。

もちろんこれまでに多少の読書は経験しているが、話題作や歴史小説などストーリー性の高いものがほとんどだったので今回もまたどんな世界が展開されるのかと勝手な期待を膨らませていた。そのため読了したときの率直な気持ちは「あれ、終わっちゃった」だった。

しかし、なんだか胸の奥に微妙な余韻が残る。懐古趣味の甘酸っぱさやキュンとした気持ち、という分かりやすい感情ではない。この感覚はなんだろう。

作品の中に数多く散りばめられる細かくかつ具体的な小物や情景の描写は、ひたすら並列的に並べられることでそれを読む私自身の記憶と自然に重なり、作者との共感というよりは作中の世界へ自分なりの姿で入り込まされていくようだった。

早い段階で親を亡くした私ももう50を過ぎた。自分より先に生まれたものが先に消えていく条理を知り、一方でこの世から消えたように見えたものがしっかりとそのまま残っている事実も実感した。「人生とはそういうもの」だと多少諦観する部分もある。それでもふとした拍子に幼い頃の写真アルバムを開いてしまったとき、子供の頃を過ごした街で家々に灯る明かりを見たとき、私の目に入る光は丸く朧気な形になる。もしかすると読後の微妙な感情というのはここに通じていたのかも知れない。

私の中にも、それほど数は多くなく小さいが温かい灯りがあることは幸せだ。それらの灯りで仄かに照らしながら歩むこれからの人生、最後に「どういうもの」と思えるか楽しみにも思える。そんな気持ちになる小説だった。

余談だが、作中でキレッパシを見た友達と作者とのやり取りが関西弁のような、あるいは中国地方の方言のような言葉で表現されているところが印象的だった。関西人の私が韓国留学のとき、先生に「発音が慶尚道っぽい(笑)」と言われたことを思い出した。原文の表記がどうなのかはわからないが、ここは作者の出身地を意識して翻訳された方のセンスが光っていると思う。

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