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Mikitty さん

  
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とても大切なのに、見届けられなかったもの。たとえば肉親の最期。長く暮らした実家を明け渡す日。あるいは、近しい誰かが事業を畳んでしまった最終日――といったことごと。懐かしみたい気持ちは大きいのに、後悔の念に覆われるのが怖くて心の蓋を閉めてしまった、そんなこと。誰にでもある、わざわざ言ったりはしないだけで。もちろん私にも。


――同郷の人と話すとき、私は文脈をよくはずれる。

キム・ヨンス作家はそう書いている。大切で、輝かしかった実家の製菓店。その思い出話を同郷の人と語るときに感じる温度差、そして悲しみの淵へとワープしてしまうことの例えとして。どんなに煌めいていたものも、“他者を介する”と歪んでしまい、錆び落ちてしまうように感じる、と記述は続いていく。そうなのだ。自分の“生”の根源に行きつくような、父、母、実家といったものの“喪失”について、人はなかなか話せないものだよね、と読みながら私も深く共感した。語りたいくせに怖くもあるから。信頼している近しい人に話したとして、言葉にしたとたん錆のように散り落ちてしまうのでは耐えられない。

大切なものだから蓋をする。そっと鍵をかけて。うっかり開いたりしないように。心の奥の隠し扉にひっそりと、音をたてないように置いておく。私もそんな一人だった。



キム・ヨンス作家のように実家が華やかな製菓店だったわけでも、街のシンボルのような実家を失くした経験を持つわけでもないのに、『ニューヨーク製菓店』を読みながら、私は気づいたら泣いていた。父や母からの直筆の手紙を、あるいは他愛無いように思えた会話の断片が思い出されてくるからだ。大切で絶対に伝えたいことほど、親というものは“押し付けがましくない”ように、実に“さりげなさ”を装った形で手紙にしたためたり、口にしたりする。(あぁ、あの時の手紙も・・・!)と、思い当たる経験の幾つかを、小説の中ではまだ手紙文の差異が解らず戸惑っている時代の“ヨンス青年”に、私は打ち明けたくなった。


親からの古い手紙は、契約書の控えなどの、そう、結構切実で急を要する探し物などしているような時に、不意打ちで目の前に現れてくる。当時は気付けなかった“親の心情”がふわっと浮かび上がってきて、せわしないはずの時間が急に止まってたじろいだりする。浅いところしか読みとれずにいた私を、当時どんな気持ちで見ていたのか。いつの日か真意が伝わるなら、まぁよいか、と親のほうは達観していたのか、否か。今ならもう解るよ、と伝えたくとも、私にはもう叶わない。


ヨンス青年へと父から宛てられた手紙のほうは、一度書いたうえで、「<」という書き足しの記号に“助詞1文字”が加えてあるもの。さして文意は変わらないのに、と気に留めなかった青年期から、子供が生まれてやっと意味に気付けた時期、そして“自分がいなくなった後でも誰かの慰めになれる”存在として、作家の道に自信が備わった“今”に至るまで、その“書き足し”の一文は、(謎かけの形をとりながらも)息子を励まし続け、作家としての飛躍をも導いた。


ヨンス青年のお父様、ありがとう! おかげで、私はキム・ヨンス作家でなければ書けなかった、心の灯りに気づかせてくれる「ニューヨーク製菓店」を読むことができた。穏やかで優しい語り口をとりながら、実は鋭く、誰もが隠し抱く“痛い”ところをつく物語。

“読むことができた”のみならず、自分の心に鍵をかけていた“父の問わず語り”や“母からの手紙の中の言葉”と改めて対峙することも、この物語は導いてくれた。真意の気づきが遅かったことが心苦しく、どんどん私の中の蓋は重くなっていたのだったけれど、その重い蓋すらも物語の魔法でふわりと開けてもらえた。(重たい箱かと思っていたのに、いざ開けるとなれば、テイクアウト用に作られた持ち手付きの紙箱のように柔らかく開く仕組みだったのか!と、これまた“ニューヨーク製菓店マジック”に驚かされた)。



実はこの作品が韓国で執筆されたのは、随分前のことだったという。

2021年のクリスマス直前に、韓国語原文と日本語訳とを1冊にまとめて刊行することとした試みも、ちょっと粋に感じる。


なぜ2021年なのか? 作家とその父――のような関係ではなくとも、コロナ禍のリモート社会で、絶えずメールでSNSでZOOM会議で「対面ではないから誤解されたまま伝わったりしないように」と、それこそ「助詞の1音」にまで気を使いながら推敲を重ねる日々を一般の人々も無意識に送るようになった年。(作品の本意とは少し違うところだとは思うけれど)「はっ!」と思わず共感する人も多いだろう。もしかしたら文学とは少し遠いところにいた人までも。そして「時間は優しく流れるものだから、大丈夫」と、ポンと背中に手を添えられたような“温もり”を感じるに違いない、きっと。


形を失ってしまったものからも、ちゃんと“温もり”は届く。今あらためて誰かにそう言ってもらいたかったのだな、私は。

不思議なことに、心が欲しているときにキム・ヨンスの作品はスッと私の前に現れる。そう、いつも。

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