けんちゃんへ
今日で東日本大震災から10年経ったよ。
あなたが陸前高田の下宿先で亡くなって、今年の夏で26年。だから震災のずっとずっと前だった。
お葬式で訪れたあなたのご実家のお母さんが、下宿先のお部屋の整理に向かうということで、その後一緒に同行させて貰って思い出話しをしたのよ。
それが私が行った3回目の高田だった。
下宿先には、けんちゃんがその寸前まで生活していたにおいがまだ残っていたこと。あなたのお母さんも突然の我が子の死を、受け止める余裕などなかったはずなのに、初めて直接会った私を同行させてくださったこと。本当に温かく対応してくださって。思い出すなぁ。
あの頃の高田は、長閑な川のせせらぎでおたまじゃくしがたくさん泳いでたり、浜沿いに続く綺麗な松林が忘れられない。
夕方近く、お互い下手っぴなテニスもしたね🎾
いつか自分も高田に行くものと信じてた頃でした。
あなたが旅立って、
私なんとか必死に生きました。
色んな人との出会いで学び、楽しい思い出もできました。
そんな矢先、思い出のままであって欲しかったあの景色、下宿先があったはずの場所が海に飲み込まれてしまった映像をテレビで見て、愕然としました。高田が真っ先に報道されて、その後も続々と飛び込む東日本大震災の大津波のニュースは、、、。
言葉にできません。
その後にボランティアで訪れる勇気が自分になかったことが今でも悔やまれます。
あなたの仕事の同僚やお世話になった上司や下宿先の方、あなたの未来を期待してエールを送って下さった取引先の方々。
皆さんどんな人生をあの後歩まれただろう。また、あなたのご家族は、ご健康に過ごされているでしょうか。
時は10年経ちました。
年取っちゃいました。
が、生きているうちに、
許されるならば、皆さんに会ってけんちゃんの思い出話をお話したい。お元気で暮らしていらっしゃることを切に願います。
「また会おうね」
それが仙台駅の新幹線の改札口での最後の言葉になってしまったね。まさかそれが最後交わした言葉になるなんて。
もし、、、
いつか、その時が来たら、あの時からのあなたのことを、心から聴きたいなー。そして私に起こったことも聞いて欲しい。こんなに時間が経ったけど、あなたに会えたことは、今でも宝物なんですよ。
次に会えるまで、たまにでいいから、
私のこと思い出してね。
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