エヴァQにおけるロボットもの、セカイ系、承認。
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『ヱヴァンゲリヲン新劇場』がYoutubeで無料公開されていて、それを見たときにQに特筆すべき点があると思ったので書く。序盤から驚く。もはやロボット的なものは背景に追いやられているかのように、宇宙戦艦ヤマトを思わせる船が登場する。初号機は船になってしまった。そして船は多くの人が分担して操縦する。TV版からなんとなくあった分業でエヴァを発進させるシステム。その分業システムでは、最終的には操縦者が自由に動かせる。しかし、この船は完全にそれぞれがそれぞれの作業をすることで動く仕組みだ。そこにはロボットを操縦するような全能感はない。そしてロボット自体(元々エヴァは汎用ヒト型決戦兵器なのでロボットと言えるのかは分からないが)、獣とも言えるような表象(特に二号機のビーストモード的なもの)で、さらに時々制御が効かなくなるため、まさに生物であり、思いのままにならない。自分そのままの姿で自分を拡張するというロボットのロマンは終わってしまっているようだ。そしてシンジはもう操縦者ではなく、14年も経過しているために、取り残される。操縦者としてのアイデンティティも失う。かつての仲間には冷たくあしらわれる。エヴァに熱中して新作の公開を何年も待っていたファンが、アニメ趣味から離れた昔の友人から「キモい」認定されるような感じで、批評性がある。だが、そういう解釈こそ、宇野常寛の言う「安全に痛い自己反省」かもしれない。レイを救おうとしたために、世界滅亡の原因となってしまったことを知るシンジ。セカイ系の代償の重さ。これだけでも絶望的だ。それに加えて、救ったはずなのに救えていなかったという事実も明らかになる。さらなる絶望。新海誠の『天気の子』は世界への被害はあっても、「安全に痛い自己反省」レベルなので甘いのかもしれないと思った。シンジは拠り所がなくなってしまうかと思いきや、カヲルがいる。カヲルはシンジを無条件に承認してくれる。なんと暖かい関係!ヒロインが主人公を無条件に承認する構図(村上春樹の小説やゼロ年代のエロゲが例に挙げられる。そういう風に言い切るのも問題だろうけれど)とはまた違う。同性が無条件に承認してくれるのだ。これは、オタクが本当は恋人に承認されるより、友達に承認されたいという欲望があるということを暗示しているのではないだろうか。そして世界を救う可能性があると知り、二人で槍を抜きに行く。しかしそれはゼーレのシナリオの思う壺だった。せっかく希望を持てたのに、また突き落とされる。今度こそ完全に心が折れてしまう。それでも終わらない。アスカが助けに来てくれた。そうするとまたヒロインに無条件に承認されるの構図が戻ってしまうように見えてしまうが、絆は失われていなかった、ともとれる。改めてエヴァを見ると、東浩紀が『動物化するポストモダン』で主張したキャラ萌えが重視されて物語は重視されない「データベース消費」は適応に限界があると分かる。物語の重要性。
コメント
瑞奈ありささん: 2020-05-14 22:17:40
「オタクが本当は恋人に承認されるより、友達に承認されたいという欲望があるということを暗示しているのではないだろうか」という見立ては面白いですね。
二次元を「嫁」と言い張るようなところから、「推し」という言葉に代表されるような、SNSが求められるような、現代的な事象の根幹部分に関わる見立てであり、かつ、サブなカルチャーとしてのメディアを存在するに足らせる価値のある見立てであるように感じました。
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