本サイトは、SHARE info(シェアインフォ)で作成されたサイトです。

マッチングサイト・セミオーダーサービス SHARE info Biz

相撲道

投稿:ゆうぼん  
通報 ウォッチ 0

その男は、君が代が斉唱される中、止めどなく溢れる涙を何度も拭いながら号泣していた。その男こそ横綱稀勢の里、その人であった。
それは、千秋楽。12勝2敗で迎えた優勝を決める大一番。相手は、13勝1敗で圧倒的有利に立つ大関照ノ富士である。優勝経験もあるモンゴル出身の大型力士だ。優勝するには、稀勢の里が、この一番で勝って優勝決定戦の再試合にも勝たなければならない。つまり、2勝しなければならない。
これには、伏線があった。大阪場所13日目の事であった。迎えるは、横綱日馬富士。2012年11月に横綱に昇進した幕内優勝回数8回を誇る大横綱である。今場所は、優勝戦線からは離脱しているものの、強敵であることは言うまでもない。
今場所、3敗を喫しているものの、この一番での眼光は鋭く、闘志が漲っていた。それもそのはず、優勝戦線に留まっている弟弟子照ノ富士の援護射撃で、全勝の横綱に土を付けたいのは、当然だ。時間一杯で、双方が激突し、この一番では、日馬富士の気迫が上回り、稀勢の里を土俵下まで吹き飛ばした。この時誰もが予想だにしなかった一大事が起こった。いつも平静な稀勢の里が、痛みに苦悶の表情で左肩を抑えている。この後、救急車で病院に搬送され、翌日の取組は絶望的と思われた。しかし、日本人として19年ぶりの横綱は、意地とプライドをかけて翌日の土俵に立っていた。14日目、この日の相手は、横綱鶴竜。結果は、立ち合いから2.5秒で敗れた。内容も相撲というのにはほど遠く、攻めるどころか、抵抗すら出来なかった。肩のテーピングが、痛々しさに拍車をかけた。誰しもが、翌日の欠場を確信する。
しかし、彼は土俵に立ち続けた。肩に巻かれたテーピングが、悲壮感を一層際立たせた。
 千秋楽、行司の仕切りで、立ち合った瞬間、稀勢の里は捨身の秘策に打って出るため、左に体をさばき、横に跳び、大関のまわしを使える右手で取りに行く。しかし、行司判定は、立ち合い不十分として、再取組となり万策は尽きた。
再取り組みは、「はっけよい残った」と行司の掛け声により双方が立ち合った瞬間、奇跡が起きた。というより神風が吹いた。
横綱は、使える右腕を中心に体を開き、すかさず、右手を差した途端、負傷している左手が動いた。土俵際まで押し込まれた絶体絶命のピンチを左手で、大関の頭を押さえて引き落とし、「はたき込み」で、勝利を呼び込んだ。
 観衆や視聴者は、勝利に酔い、相手の照ノ富士は土俵上で呆然としていた。取りこぼした1勝は、余りにも大きい。横綱は、誰もが予想しなかった優勝決定戦への切符を掴み取ったのだ。
 横綱は、支度部屋で優勝決定戦に向け、髪結いを受けながら瞑想していた。優勝決定戦への一縷の望みを掴んだものの、圧倒的に不利であることは、言うまでもない。
 怪我を押しての出場は、相撲人生への影響も多大である。過去に横綱貴乃花が、怪我を押して優勝決定戦に挑み、武蔵丸に勝利して優勝した際、翌場所から7場所連続で、欠場し、怪我の治療を強いられたことがあった。
 いよいよ優勝決定戦、時間いっぱいになり、観衆の興奮も絶好調になり、異様な雰囲気の中、双方がにらみ合う。行事の掛け声と共に、双方立ち上がった瞬間、横綱は、動く右手に賭け、すかさず、右手でまわしを取りに行く。しかし、取りこぼしが許されない大関は、渾身の力で横綱を下から抱きかかえ、土俵際に押し込んでいく。誰の目から見ても圧倒的不利であり、棒立ちになった横綱には、もはや為す術もないように映った。
 しかし、ここでも奇跡が起こった。彼は、動く右腕を大関の頭を抱えるようにを回し、首投げに打って出る。それでも押し込んで来る大関に絶体絶命に追いやられた瞬間、相手の左手を脇に抱え込み、右足を軸にして体を開き、捨て身の「小手投げ」に打って出た。双方土俵下に転げ落ちた。その光景は、スローモーションのように感じられた。それほど、この一勝には重みがあった。誰もが勝利の行方に息をのむ。行事軍配は、大関が一瞬早く落ちたのを見逃さなかった。横綱に軍配が上がった。
 控室で、勝敗を見守っていた先に幕内優勝を決め、来場所大関を目指す弟弟子高安は、大粒の涙をボロボロ流し、言葉にならないながらも「すごい」と詰まらせながら、自分事のように嬉しさで泣き崩れた。
 新横綱が連続優勝するのは、22年ぶりの快挙だ。
 傷だらけの横綱は、観衆とともに、君が代を斉唱し続けた。
 優勝インタビューでは、「自分の力以上のものが出た、見えない力が出た、諦めない気持ちが強かった」と語った。「今度は泣かないと決めていたのにすみません」と、こぼした。
 先場所、横綱昇進を決定的にさせた優勝を掴んだ際、これまで何度も横綱昇進に向けた大事な一番で、何度も挫折して来た。それでも諦めなかった。何度も苦しい稽古に耐え、鍛え続けた。
 だからこそ、優勝した時、これまでの苦労や周りの支え等が走馬灯のように、脳裏に蘇り、感謝や喜びが入り混じり、先場所の男泣きに繋がった。
 だからこそ、自然に出た言葉だった。それは、飾り気のない言葉だが、誰もが言霊と感じた、感動した。いずれの言葉も飾り気はないが、言霊を聞くたびに、観衆は、湧いた。
 賜杯を受領するとき、いつもなら軽々受け取る姿もその重みに顔をしかめた。まさしく、満身創痍で、勝ち取った賜杯の重さを物語っている。
 セレモニーが終了し、花道を引き揚げる彼は、インタビュー中に何度も口にした「見えない力で勝利した」という意味を噛みしめていた。
 見えない力ではなく、実力をつけ、勝利を確固たるものにするため、稽古に一意専心することを胸に秘め、ゆったりと土俵に大きな背中を向け、支度部屋に消えていく。
 日本中が、心技体を体現した大横綱の誕生に、歓喜するとともに、これまで外国人力士に席巻されてきた相撲の歴史を塗り替える快挙に観衆は酔いしれた。千秋楽は、終焉を迎えた。しかし、この長かった一日は、新時代の幕開けかもしれない。

関連する投稿

  • 4人目の子供
    エッセイ - ゆうぼん - 2017/04/22
    4人目の子供
    0

    ある日、彼女の調子がおかしくなった。更年期障害から心配性...

  • ワニ
    エッセイ - kumagoro - 2016/08/10
    ワニ
    0

    小学校の低学年の時の話。 当時、近所の駄菓子屋でくじ引き...