4人目の子供
ある日、彼女の調子がおかしくなった。更年期障害から心配性になり、仕事のストレスも相俟って鬱になってしまった。
私たちは、念願のマイホームを郊外で購入した。
中古住宅だが、私たちには、自慢のお城だ。そこでは、3人の子供にも恵まれた。子供たちのために二人で必死に働いた。私は、何日も帰ることなく全力疾走で、子供たちや住宅ローンの返済にと、一生懸命だった。
彼女も仕事と家事、子育てと、一生懸命だった。
気付かなかったけど、心にたまるストレスは、コップに水をためていくのと同じで、一旦いっぱいになると後は、溢れるしかない。
彼女の心のコップもこうして溢れてしまった。
このころ、私たちのお城も老朽化したので、新築同様のリフォームをし、これまで以上の自慢のお城に大変身した。子供たちも間も無く、社会人となり、後は、第二の人生を楽しむ、そう信じてやまなかった。
彼女もそう信じて今まで以上に頑張った。しかし、いつしか心のコップはいつの間にかいっぱいになっていた。
そして入院することになった。入院してからしばらくし、外泊許可が下りることになり、数十年勤めた会社で初めて、早引きをとって、何かうきうきした気分で、迎えに行った。
病室に入ると、よそ行きに着替えて薄紅を引いた彼女がぎこちない笑顔でそわそわしながら医師の最後の許可を心待ちにしていた。
私は、持ってきたスイーツでも食べて待っていたらと促し、落ち着かそうとしたが、普通なら大好物を直ぐに、頬張る彼女が、渋々、口をつけた。
余程、帰りたいんだなと、何となく嬉しくなった。
しかし、私が迎えに行く数時間の間に病院内で、彼女は調子が悪くなっていたらしく、医師の最終判断は、「外泊不許可」だった。
彼女は、もじもじしながら「帰りたかったな」と、つぶやくような小声で、残念そうに話した。子供のようだった。「また、直ぐに迎えに来るから」と言うと、納得した様子だった。
ハンドルを握りながら帰宅する車窓は、土砂降りだ。
メトロノームのようなワイパーの動きを見ていると不意に「頑張らなくていいよ、一番末っ子としてこれから甘えていいよ」との思いが頭をよぎると、車窓と同じように涙が止まらなった。4人目の子供のことなんてこれまで考えたこともなかった。
二人三脚のつもりだった。片輪走行になったが、これからもっと、踏ん張らねばと強く思っていると携帯電話が鳴る。画面を確認すると「非通知」だ。病院は、携帯電話が禁止されており、公衆電話からかけると「非通知」になるよう設定されている。
お巡りさんが居ないのを確認して電話に出ると、「お父さん、もらったスイーツ病院内で、分け合いしたらダメなんだって、冷蔵庫もないし、どうしよ」とのこと。「また、買って来てあげるから、しばらくして食べられなかったら、捨てたら」というと納得して切断した。
4人目の子供には、養育費がそんなにかからないけれど、心を満たすいっぱいの栄養が必要不可欠だ。3人の子供たちには、今までの恩返しを含めて末っ子を溺愛するよう、教育しようと強く思い、雨に向かってアクセルを踏み、前をしっかり向いてハンドルを握りしめ、自慢のお城に向かった。