<ある晩の会話>
昨年本人たっての希望で、自宅で父を看取ることとなりました。末期がんで、だんだん寝ている時間帯が長くなってきたある日、痛みで明け方に呼ばれ、痛み止めが欲しいと言うので、医療用麻薬を飲ませ、薬が効くまでの間、背中をさすりながら、父にこんな事を話しました。
『まあ、いろいろあったね。親子だし、大学まで行かせてもらって、感謝してます。兎に角クソガキだったし、社会に出ても、折に触れいろんなことがあったけど、でも結局あなたが立ち上げた事業を引き継ぐことになった時、それがいかに大切なものかってことも判ったし、正直「スゲーな」って思った。そりゃ、仕組みも仕事の中身も、不満はたくさんあったし、事業を引き継いだ立場からすれば、素直に尊敬するとは言えない部分も多々あるけどね。でもせっかく作ってくれた箱に、しっかりとした機能を持たせることが役割りだと自分に言い聞かせて務めてきた。だからもう後悔してないよ、法人が法人として動けるようになったからね。これはね、あなたが作った箱が、遂に社会での役割を持ったということなんだと思うよ。
....お父さん、あなたはもうじき死ぬ
まだ未練があるのかもしれないけど、あなたが作った箱が、地域でしっかりと役割を持って自分で動くようになったんだよ。それは記念館とか慰霊碑なんかよりずっと価値があるとは思わないかい?』
こんなことを話していたら、痛みが落ち着いたのか、彼は何も言わずに静かに目を閉じで眠りました。ちょっと穏やかな顔になった気がしました。
人生の最終段階における介護や医療のあり方を協議しておくことが推奨されています。それは手術をするとかしないとか、延命治療をするとかしないとか、そういうことではなくて、人生観や価値観を共有するということだと感じた出来事でした。

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