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私は訪問リハビリの仕事をしたいます。夫の母は認知症を持ちながら、訪問看護やデイサービスなどを利用し、一人暮らしをしています。私たち夫婦は車で2時間ほど離れたところに住んでいます。義母は元々養護教諭や地域の活動もリーダー的な役割をずっとしてきたためか、人からお世話になることは絶対プライドが許しません。お金の管理ができなくなっても、息子である夫に頼ることもなく、銀行の通帳やカード、診察券、マイナンバーカードなど何度も紛失し、再発行を繰り返しています。自分の弱みを見せたくない母、できるだけ、自分でできることを取り上げないで、支えて行こうと思っている夫も、自分を頼って来ない義母の頑固さにイライラ募らせることも多く、言うこと聞かないなら、もうどうなっても良いなんてことを言うようになって来ました。先日ずっと使用していた電子レンジが壊れ、新たな電子レンジを買わないとねと話していたところ、ちょうど母の受診のために夫が実家へ帰ってきて電子レンジのことを聞くと、「全く同じ機種の電子レンジを買って置いてきたから、本人は壊れたことましてや変わったことすら、わからないと思うよと、あはは〜」さらっと言ってのけた。後から聞いたら、古い型だったので同じレンジを探すのに、何件も何件も電気屋さんを回ったようでした。夫は医療、介護従事者ではないけれど、認知症の本質をわかっていて、ちゃんと義母が困らないように頑張ったんだな、やるじゃんと見直しました。これからも試行錯誤、ぶつかったりしながらも、夫婦協力して色々面白がって支援していこうと思います。

認知症

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看護師になって18年目です。初めの5年間は救急病棟でした。そこで人生で初めて人の最期に立ち会いました。人というのはモニターのアラーム音とともに人生を終うものなのだと学びました。 今、訪問看護師になって9年。人の死の瞬間とは、こんなにも穏やかで静かで時には皆の笑顔の中で迎えるものだと知りました。人の身体は最期の時が近づくと、一つ一つ旅立ちに向けた準備をしていくようにできているのです。それはまるで生まれるときに、教えてもないのに赤ちゃんが姿勢を変えながら産道を通り抜けて出てくるかのように。その流れを妨げたり、流れに逆らうことなく、見守ること。これが穏やかな旅立ちを叶えるために私たちができる唯一のことだと感じています。 本人が亡くなるその瞬間にも台所では家族が夕食の準備をし、孫たちはリビングで宿題。本人の傍らには長年連れ添った伴侶が新聞を読んでいる。住み慣れた自宅で人生を終うというのは、最期の最後の瞬間まで生活の中で生き、家族の一人として生ききることなのだと、今まで出会ったたくさんの人生の先輩方が教えてくれました。「人のもつ力を信じ、引き出し、見守る。」そんな看護師という立ち位置を、18年経った今、とても愛おしく、誇らしく感じています。

在宅

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訪問看護師として何人かの最期の旅立ちを見送らせていただきました。中でもとても記憶に残っているのは、高齢のご夫婦のエピソードです。夫は末期がんで入院加療中でしたが、自宅で一人で過ごす認知症のある妻を心配し、医師の反対を押し切って家へ帰りました。帰宅後すぐに訪問診療をしてくれる在宅医を手配しましたが、みるみる状態は悪化していきました。妻はあまり状況がわからず混乱する様子もありました。この日が最期かもという日の訪問で、「最期にどんな服が着たいか、本人に確認しよう」と決めていました。というのも、ご本人はとってもおしゃれな方だったのです。本人に聞くと、薄れゆく意識の中で希望のスーツやシャツの色などを教えて下さいました。妻と2階のクローゼットで服を探し始めると、妻がふと「そういえばこれを遺影に使いたいと言ってたの」と、かつて写真館で夫婦で撮った写真を取り出されました。そして突然私の顔を真正面から見て「もう…そんなに悪いの?」と聞かれるのです。私は直感的に「多くの言葉はいらない」と感じ、ゆっくりと首を縦に振って応えました。それをみた妻は「ああ、そうなの……。最期に会わせてあげたい人…誰かしら…」と考え始めたものの、しばらくして「私がそばにいれば、いいかしらね」と言われたのです。私は「そうです、奥さんのことが心配でこの家に帰られたのだから奥さんがそばにいて差し上げてください」と妻の背中をさすりました。妻に今の状況をどんな風にお伝えすればよいのかをずっと考えていましたが、何も言わずともすべてをわかっていらっしゃったのだなあと改めて長年連れ添ったご夫婦の絆を感じました。その日の夕方、妻の隣で静かに息を引き取られ、希望の白のワイシャツ、紺のネクタイ、スーツを着て、最後に妻の選んだ帽子をかぶりました。妻はその様子を見て「ああ、いつもの通勤姿です」とにっこりと笑われました。

看取り

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医療と介護のステキな勉強会で、ある看取りの場面での出来事を聞きました。ACP(人生会議)で積極的な治療を望まれなかった方の最期に際し、お孫さんが「心臓マッサージもしないなんて」と涙ながらに訴えられたそうです。学校で「人が倒れたら心臓マッサージやAEDを!」と教わってきたお孫さんの訴えは、決して間違いではありません。むしろ、そのように学んできたからこその純粋な気持ちだと思います。しかし、人生の最終段階においては、ご本人が心臓マッサージなどの延命治療を望まず、穏やかな最期を希望されるケースがある。ACP(人生会議)は、まさにそのための話し合いです。「どんな時でも命を救うために手を尽くすべき」という教えは尊い。でも、それと同じくらい「本人が望む最期を尊重する」ことも大切だという視点が、今の教育や社会の共通認識として、まだ十分に広まっていないのかもしれません。これは、どちらが正しいとか、悪いとかいう話ではないですよね。ただ、終末期医療における「何もしない」という選択肢が、ご本人にとって最善の(医療)ケアである場合があることを、もっと発信していく必要はあると思います。救命救急の大切さに加えて、人生の終わり方について考える機会も、これからの時代にはますますどんどん必要なのではないでしょうか。

看取り

訪問看護師として何人かの最期の旅立ちを見送らせていただきました。中でもとても記憶に残っているのは、高齢のご夫婦のエピソードです。夫は末期がんで入院加療中でしたが、自宅で一人で過ごす認知症のある妻を心配し、医師の反対を押し切って家へ帰りました。帰宅後すぐに訪問診療をしてくれる在宅医を手配しましたが、みるみる状態は悪化していきました。妻はあまり状況がわからず混乱する様子もありました。この日が最期かもという日の訪問で、「最期にどんな服が着たいか、本人に確認しよう」と決めていました。というのも、ご本人はとってもおしゃれな方だったのです。本人に聞くと、薄れゆく意識の中で希望のスーツやシャツの色などを教えて下さいました。妻と2階のクローゼットで服を探し始めると、妻がふと「そういえばこれを遺影に使いたいと言ってたの」と、かつて写真館で夫婦で撮った写真を取り出されました。そして突然私の顔を真正面から見て「もう…そんなに悪いの?」と聞かれるのです。私は直感的に「多くの言葉はいらない」と感じ、ゆっくりと首を縦に振って応えました。それをみた妻は「ああ、そうなの……。最期に会わせてあげたい人…誰かしら…」と考え始めたものの、しばらくして「私がそばにいれば、いいかしらね」と言われたのです。私は「そうです、奥さんのことが心配でこの家に帰られたのだから奥さんがそばにいて差し上げてください」と妻の背中をさすりました。妻に今の状況をどんな風にお伝えすればよいのかをずっと考えていましたが、何も言わずともすべてをわかっていらっしゃったのだなあと改めて長年連れ添ったご夫婦の絆を感じました。その日の夕方、妻の隣で静かに息を引き取られ、希望の白のワイシャツ、紺のネクタイ、スーツを着て、最後に妻の選んだ帽子をかぶりました。妻はその様子を見て「ああ、いつもの通勤姿です」とにっこりと笑われました。

看取り

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私は訪問リハビリの仕事をしたいます。夫の母は認知症を持ちながら、訪問看護やデイサービスなどを利用し、一人暮らしをしています。私たち夫婦は車で2時間ほど離れたところに住んでいます。義母は元々養護教諭や地域の活動もリーダー的な役割をずっとしてきたためか、人からお世話になることは絶対プライドが許しません。お金の管理ができなくなっても、息子である夫に頼ることもなく、銀行の通帳やカード、診察券、マイナンバーカードなど何度も紛失し、再発行を繰り返しています。自分の弱みを見せたくない母、できるだけ、自分でできることを取り上げないで、支えて行こうと思っている夫も、自分を頼って来ない義母の頑固さにイライラ募らせることも多く、言うこと聞かないなら、もうどうなっても良いなんてことを言うようになって来ました。先日ずっと使用していた電子レンジが壊れ、新たな電子レンジを買わないとねと話していたところ、ちょうど母の受診のために夫が実家へ帰ってきて電子レンジのことを聞くと、「全く同じ機種の電子レンジを買って置いてきたから、本人は壊れたことましてや変わったことすら、わからないと思うよと、あはは〜」さらっと言ってのけた。後から聞いたら、古い型だったので同じレンジを探すのに、何件も何件も電気屋さんを回ったようでした。夫は医療、介護従事者ではないけれど、認知症の本質をわかっていて、ちゃんと義母が困らないように頑張ったんだな、やるじゃんと見直しました。これからも試行錯誤、ぶつかったりしながらも、夫婦協力して色々面白がって支援していこうと思います。

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看護師になって18年目です。初めの5年間は救急病棟でした。そこで人生で初めて人の最期に立ち会いました。人というのはモニターのアラーム音とともに人生を終うものなのだと学びました。 今、訪問看護師になって9年。人の死の瞬間とは、こんなにも穏やかで静かで時には皆の笑顔の中で迎えるものだと知りました。人の身体は最期の時が近づくと、一つ一つ旅立ちに向けた準備をしていくようにできているのです。それはまるで生まれるときに、教えてもないのに赤ちゃんが姿勢を変えながら産道を通り抜けて出てくるかのように。その流れを妨げたり、流れに逆らうことなく、見守ること。これが穏やかな旅立ちを叶えるために私たちができる唯一のことだと感じています。 本人が亡くなるその瞬間にも台所では家族が夕食の準備をし、孫たちはリビングで宿題。本人の傍らには長年連れ添った伴侶が新聞を読んでいる。住み慣れた自宅で人生を終うというのは、最期の最後の瞬間まで生活の中で生き、家族の一人として生ききることなのだと、今まで出会ったたくさんの人生の先輩方が教えてくれました。「人のもつ力を信じ、引き出し、見守る。」そんな看護師という立ち位置を、18年経った今、とても愛おしく、誇らしく感じています。

在宅

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犬の話でスミマセン。最近うちのわんこが亡くなりました。知人から引き取って16年でした。顔はかわいいけど、とても凶暴な女の子で、僕は何度も噛まれて、敗血症でショックになったこともありましたが、それでも大好きでした。ここ数年は認知症が進んで、散歩は出来ていましたが、てんかん発作や徘徊、失禁もあり、犬とはいえ介護生活はそれなりに苦労もあって、死期は遠くないっていう覚悟は出来てたつもりでした。そんなある晩夜勤で職場にいると、奥さんからラインでメッセージが届きました。「訃報」と書かれたメッセージで、「あ~死んだんだな」と直感しました。翌日帰ってわんこと対面して、死が現実のものと心が理解すると、涙が溢れてきました。幸い奥さんも子供も家にいなかったので、声を出して泣きました。ひとしきり泣くとちょっと落ち着きましたけれど、後日荼毘に付せて、火葬場でボイラーが着火する音が聞こえると、また涙が溢れてきました。かっこ悪いから表に出て煙突の煙を眺めていると、「高い空」って曲を思いだして、スマホを取り出し、イヤフォン大音量で聴きました。  君の煙は 空へ昇って行った  あっけないくらい 僅かな煙だった  太陽光線 長旅お疲れ様  君の煙は 空へ昇っていったよ  お酒を飲んで 僕は笑った  お酒を飲んで 僕は笑った  高い空 どこまでも 高い空 見上げてた  高い空 いつまでも 高い空 見上げてた一度聞いてみてください。とてもあっけらか~んとした曲です。作者がこの曲を作った背景は僕には判りませんが、こういう文章を書いて、悲しいことを、悲しいこととして盛り上げるのではなく(書いておきながら何ですが)、悲しいことは、もうそこにあってどうしようもないんだから、やり過ごすしかないし、もし何か出来ることがあるとすれば、それはもう「お酒を呑んで笑う」それぐらいの事で、「死」ってそれぐらいどうしようもないことなのです。

看取り

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総合病院でがんの治療中だった高齢の男性がおりました。病状進行により死期が近いと判断され、近くの病院へ紹介となりましたが、ご本人は認知症の奥さん(おばあちゃん)のことが大変気がかりで、自宅での生活を強く希望されたことから、訪問診療をお願いすることとなりました。ご自宅ではおばあちゃんと、息子夫婦、賢い犬と同居されており、主な介護者はお嫁さんといった状況でした。肺にお水が溜まっているような状態でしたが、酸素吸入が開始され、何週間かは穏やかな在宅生活が送れていました。そんなある日、おばあちゃんが自宅で転倒し、足の骨を折ってしまい、緊急入院になってしまいました。手術はうまくいったのですが、入院により認知症が進行して、お嫁さんは病院でおばあちゃんの対応も行う必要が生じました。時を同じくして、おじいちゃんも病状の進行により、ご自身で食事を摂ることが難しくなってきてしまいました。更に悪いことにお腹の痛みも訴えるようになり、訪問看護師さんの訪問や、臨時の往診が多くなりました。お嫁さんの介護ストレスが増え、疲弊の色が濃くなってきたタイミングで、主治医の先生から、痛みの対策を兼ねて、おばあちゃんが入院している病院に、おじいちゃんも入院することが勧められました。おばあちゃんが家に戻ってくることを楽しみにしていたおじいちゃんでしたが、やむなく入院することになりました。入院後に痛みはお薬で調整できましたが、おじいちゃんの衰弱が急に進んで、残念ながらご自宅へ戻すことは難しくなってしまいました。結局おじいちゃんはそのまま病院でお亡くなりになったのですが、たまたまおばあちゃんが退院する前のタイミングであったことで、最後におばあちゃんと面会することができたのでした。「死に場所なんかどこでもいいよ、お前がそばにいてくれれば」そう言ったかどうかは定かではありませんが、雲は必ず雨を降らすわけではないんですね。

在宅

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