命の教育と、穏やかな看取りの狭間で考えさせられたこと

イガリリョウ
2025/6/14
2025/6/14

医療と介護のステキな勉強会で、ある看取りの場面での出来事を聞きました。ACP(人生会議)で積極的な治療を望まれなかった方の最期に際し、お孫さんが「心臓マッサージもしないなんて」と涙ながらに訴えられたそうです。

学校で「人が倒れたら心臓マッサージやAEDを!」と教わってきたお孫さんの訴えは、決して間違いではありません。むしろ、そのように学んできたからこその純粋な気持ちだと思います。

しかし、人生の最終段階においては、ご本人が心臓マッサージなどの延命治療を望まず、穏やかな最期を希望されるケースがある。ACP(人生会議)は、まさにそのための話し合いです。

「どんな時でも命を救うために手を尽くすべき」という教えは尊い。でも、それと同じくらい「本人が望む最期を尊重する」ことも大切だという視点が、今の教育や社会の共通認識として、まだ十分に広まっていないのかもしれません。

これは、どちらが正しいとか、悪いとかいう話ではないですよね。ただ、終末期医療における「何もしない」という選択肢が、ご本人にとって最善の(医療)ケアである場合があることを、もっと発信していく必要はあると思います。

救命救急の大切さに加えて、人生の終わり方について考える機会も、これからの時代にはますますどんどん必要なのではないでしょうか。


コメント

アンビバレントな感情をどう整理するか

M君さん
2026-04-23 08:11:21

ここで大切なのは、「救命すること」と「何もしないこと」を対立するものとして捉えないことかもしれません。実際には、「何もしない」のではなく、苦痛を和らげ、安心して過ごせるように支えるケアが行われています。そしてそれは、ご本人の価値観に基づいた“最善の医療”である場合があります。
突然倒れた方に対して迅速に救命処置を行うことと、人生の最終段階にある方の意思を尊重することは、どちらも大切であり、状況に応じて求められる行動が異なるだけです。
今回のような場面は、私たちに「どのように生き、どのように最期を迎えたいか」を考えるきっかけを与えてくれます。ご本人の思いをあらかじめ話し合い、共有しておくことの大切さを、改めて感じさせられます。
それぞれの立場や思いを尊重しながら、よりよい理解が広がっていくことを願っています。