「いつもの通勤姿です」
訪問看護師として何人かの最期の旅立ちを見送らせていただきました。
中でもとても記憶に残っているのは、高齢のご夫婦のエピソードです。
夫は末期がんで入院加療中でしたが、自宅で一人で過ごす認知症のある妻を心配し、医師の反対を押し切って家へ帰りました。
帰宅後すぐに訪問診療をしてくれる在宅医を手配しましたが、みるみる状態は悪化していきました。
妻はあまり状況がわからず混乱する様子もありました。
この日が最期かもという日の訪問で、「最期にどんな服が着たいか、本人に確認しよう」と決めていました。というのも、ご本人はとってもおしゃれな方だったのです。本人に聞くと、薄れゆく意識の中で希望のスーツやシャツの色などを教えて下さいました。妻と2階のクローゼットで服を探し始めると、妻がふと「そういえばこれを遺影に使いたいと言ってたの」と、かつて写真館で夫婦で撮った写真を取り出されました。そして突然私の顔を真正面から見て「もう…そんなに悪いの?」と聞かれるのです。
私は直感的に「多くの言葉はいらない」と感じ、ゆっくりと首を縦に振って応えました。
それをみた妻は「ああ、そうなの……。最期に会わせてあげたい人…誰かしら…」と考え始めたものの、しばらくして「私がそばにいれば、いいかしらね」と言われたのです。
私は「そうです、奥さんのことが心配でこの家に帰られたのだから奥さんがそばにいて差し上げてください」と妻の背中をさすりました。
妻に今の状況をどんな風にお伝えすればよいのかをずっと考えていましたが、何も言わずともすべてをわかっていらっしゃったのだなあと改めて長年連れ添ったご夫婦の絆を感じました。
その日の夕方、妻の隣で静かに息を引き取られ、希望の白のワイシャツ、紺のネクタイ、スーツを着て、最後に妻の選んだ帽子をかぶりました。
妻はその様子を見て「ああ、いつもの通勤姿です」とにっこりと笑われました。

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